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2008年09月24日

●オトモダチ

麻生内閣が発足。
TVのニュースでは「オトモダチ内閣」などと評していました。
中学校時代のクラブ活動で、私はクラブ長から指名され、副クラブ長を任されたことがあった。
私が指名された理由は、クラブ長と私がオトモダチじゃなかったから。
ぶっちゃけ、クラブ長一派を「イケスカナイ連中だ」と、私や私の周りは思っていたし、向こうもそうだった。
それでも、4月からスタートしたオトモダチじゃない体制は、夏を過ぎる頃にはイイカンジにまとまっていった。
秋の文化祭を成功させようという気持ちは、全員が同じだったし、お互いの胸の内を知らないままでいたクラブ長一派と、私たち一派だったけど、クラブ長と私がじっくり話す機会が増えたため、お互いの想いを知ることができたら、相反する考えを持っていたときも、受け入れたり、受け入れてもらったり、話し合って折中案を出したりと、気持ち良くコトを運ぶことができて、文化祭も大成功だった。
「イケスカナイ連中」は気が付けば、「キノイイ仲間」に変わっていた。
クラブ長が私を選んだことはともかく、「自分と違う考えの人の意見も大事にしたいから、補佐役にはオトモダチじゃない人を選んだ」という考えは、その当時の私にはナカナカ、目からウロコだった。
実現はしなかったけど、宮崎のそのまんま知事は副知事を、自分の対抗馬だった人に打診したという報道があった。
オトモダチじゃない人を人選するというのは、自分に見えない部分に目を向けるにはとても有効なことだと思う。
だけど、リスクもデカイじゃん。
私の居たクラブはハッピーエンドだったけど、必ずしもそうとは限らないし、溝ができたまま終わるどころか、埋めようのない溝になったりすることだってありうる。
ローゼン閣下の組閣人事が、オトモダチ内閣でも、オトモダチじゃない内閣でも、メリットもデメリットもあるわけだし、オトモダチ内閣であるならば、メリットを生かし、デメリットをどう埋めるかってことで、よーするに国政がちゃんと運べば、どっちだっていいわけで、国会議員のセンセイ方だってイイ大人なんだから、見せなきゃイケナイ胸の内、腹ん中はしっかり見せ合う必要のある組閣人事だってことは、考えればわかりそうなもんだしね。
発足したその日に「オトモダチ内閣」とか決めつけずに、見守るとかしたっていんじゃない?

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