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2008年07月23日

●じーてぃーおー

反町隆主演の「GTO」というドラマがあった(元はマンガだったよね)。
GTOはグレイトティーチャー鬼塚の略で、鬼塚という型破りな教師がグレイトなお話。
小学校のときの教頭先生は、低学年のとき、高学年のときと2人いて、タイプは違うけど私にとっては、どちらもグレイトティーチャーだった。
で、今回は低学年のときの教頭先生のお話・・・ちょうど、泉谷しげるが雑誌に載っていたので。
というのも、私の思い出に残る、その教頭先生はお名前は忘れてしまったけど、見た目、印象というかテンションというかが、泉谷しげるをホーフツするのです。
小学校の同級生にヒデ君という男の子がいた。
彼は、小柄で、勉強もあまり得意ではなく、グループ活動なんかでは、みんなの足を引っ張ってしまうこともあったので、よくクラスでからかわれていた・・・私も彼をからかっていたと思う。
からかっている方は悪意はなく、なんとなく、面白いから・・・みたいなノリで、悪意があったわけでも、ヒデ君のことを嫌っていたわけでもなく、イジメとは違ったため、特別に問題視されることもなかった。
今にして思えば、からかう側にとっては悪意はなかったにせよ、ヒデ君はそれを不快に思っていたのかもしれない・・・そう思うと、申し訳ない気持ちになる。
学年は覚えていないけど、たぶん、1年生か2年生のとき、担任の先生が出張だったため、その日、私たちのクラスをみてくれたのが教頭先生だった。
それまで、接する機会のなかった教頭先生は私たちにとっては遠い人だった。
だけど、教頭先生がどんなツカミをしたのかは覚えていないけど、常に子供の目の高さで接してくれて、1時間目が終わるまでには、みんな、あっと言う間に教頭先生懐いていた。
休み時間はみんなが教頭先生を取り囲み、いつもはタイクツな授業も楽しくて仕方がなかった。
そして給食とき、教頭先生が私たちをものすごく怒った・・・理由はみんなでヒデ君をからかうことだった。
ニコニコした面白い教頭先生が、顔を真っ赤にして、とても悲しい目をしていたのを、今でもはっきり覚えている。
教頭先生はきっと、午前中から、みんながヒデ君をからかうこと、その状況を受け入れてしまっていることに気づいていたんだと思う。
給食の時間になり、みんな口々に「教頭先生、隣で食べてよ」と言ったら、教頭先生は「先生はヒデの隣で食べる」と答えた。
それにみんなが不満の声をあげた。
「なんでヒデの隣なんだよ、ヒデなんてどんくさいのに・・・」
みんな、どこかでヒデ君のことそんな風に上から見ていたんだ。
その言葉を聞いた教頭先生が「なんでそんなことを言うんだ?」と問いかけた。
「ヒデは足が遅い」だとか「勉強ができない」だとか、そんなカンジに自分と比べてヒデ君の劣る部分を挙げて、だから「自分より下のくせに、大好きな教頭先生の隣で給食を食べるなんてずるい」という主張をした。
どんな言葉で怒られたのかは覚えてないけど、教頭先生が目に涙を浮かべて言ったのは、誰もに欠点もあれば、逆に長所もあって、それはヒデ君も、私たちも同じだということ。
欠点はみんなでフォローしていくのがクラスの仲間だと言われた。
ヒデ君はとても絵が上手な子だった。
「ヒデはこのクラスで一番絵が上手じゃないか、みんなヒデより上手に描けるか?」
そう言って、誰もが見過ごしていたヒデ君の得意なことを挙げた。
「それにな、教頭先生はヒデのことが大好きなんだぞ、それでもおまえたちはヒデのことノロマだと思うのか?」
この一言は、そのときの私たちにとっては、どんな賞より価値のあるものだった。
だって、大好きな教頭先生に名指しで大好きって言われるなんて、すごいことだもの。
私たちはみんなでヒデ君に謝った。
心から謝った。
きっとみんな、「今までバカにしてごめん、お前、すごいヤツなんだ」って思っていたと思う。
ヒデ君を見直した私たち、そして彼に謝罪をした私たちの姿を見た教頭先生は笑顔に戻り、「じゃあ給食を食べよう」とヒデ君の隣に座った。
今度は誰も不満を言わなかった。
給食の前に怒られはしたものの、教頭先生とすごした1日は、授業も、掃除も、何もかものが楽しくて、担任の先生には申し訳ないのだけど、みんな「また、先生が出張して教頭先生が来てくれないかな」と思っていた。
この日以来、いつも教室のすみっこにいたヒデ君は、男の子の輪の中に混じり、今までのように彼をからかう者はいなかった。
遠足のときには、嬉しいことに引率の先生として教頭先生がついてきてくれて、ヒデ君は教頭先生のマブタチとしていつも横にいた。
お弁当の時間は、ヒデ君と教頭先生を囲んでみんなで食べた。
ヘビースモーカーだった教頭先生に、おやつに持ってきたシガレットチョコを「タバコあげる」って渡したら「小学生がタバコを持ってちゃいかんだろ」とか言いながら、ホントにライターで火をつけて、みんなでお腹を抱えて笑った。
教頭先生に怒られてから、クラス替えまでの3年間、些細なイザコザはあったけど、いじめや、特定の誰かをターゲットにしてからかうような出来事は起きなかった・・・みんな、あの給食のときの教頭先生の姿、伝えた言葉が心にあったからなのだと思う。
3年生の終わりと共に、教頭先生は学校を離れた・・・代わって赴任された教頭先生もた、グレイトティーチャーだったのですが、それはまた別の機会に。
その後、教頭先生とはお会いする機会もなく、消息を知る術もない。
年齢を考えると、もう亡くなられているかもしれない。
だけど、泉谷しげるを見るたびに、教頭先生のことを思い出す私がいる。

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コメント

…ちょっとうるっときた俺様

めっちゃええ話や。・゚・(ノД`)・゚・。
かれんはいい先生に恵まれたんだねぇ…

そうだねぇ。
怒ったときの教頭先生の姿は子供心にすごく胸が痛んだもの。
ただヒデ君を庇ってるわけでもなく、「お前たちのこと、大好きなのに、クラスメートにこんなことするなんて悲しい」っていうのがすごく伝わったんだよね。
私たちには、間違いを認識させて、直すことを促して、ヒデ君はあの日以来、絵を褒められたこと、みんなが認めてくれたこをで自信を持ったみたいで、すごく積極的になって、イキイキしていたよ。
たった半日で、クラスの問題点に気づいて、それを子供たちが自主的に反省して、解決させるってすごいよね。
言動はホント、泉谷しげるみたいなべらんめぇオヤジだったけど、教育者としてすごい人だったんだぁと思う。

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