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2008年04月22日

●人として

光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決・・・やぱっぱり死刑でしたね。
この事件の裁判、上告審になってから特に、法とは、裁判とは、弁護士とは何なんだろう?とすごく思うようになった。
刑事事件裁判っていうのは、事件の全貌、事実を明らかにする場であり、そこから、罪に値する妥当な刑罰を判断し、同じような事件がもう起きないように検証する場ではないかと私は思います。
過去にも何度か書いていますが、この事件の上告審から弁護士が代わってからは特に、それ以降の被告側の言い分は、真実の明らかにするのではなく、時間の経過でウヤムヤになってしまっていることや、証拠として残っていないものを、形に表すことのできない、心の中や、記憶という名目で、嘘とも真実とも判断できない・・・個人的な感想としては真実とは思えない・・・言葉を並べて、「いかに罪を軽くするか」ということのためだけに裁判に臨んでいるようにさえ見ました。
被告の生い立ち、事件を起こしたときの心理、そういうものも刑罰の判断材料のひとつだけど、なぜ被害者が被害に遭わなくてはならなかったのかとういのも大事な判断材料のはず。
なぜ、福田孝之被告に恨まれていたわけでもない女性が、こういう殺され方をしなくてはならなかったのか、生後11ヶ月の赤ちゃんが殺されなくてはならなかったのかを、小学生が教室の花瓶を割って先生に怒られたときの言い訳みたいなことを言ってウヤムヤにしてしまうのは、被害者、遺族はもちろん、司法に対しての冒涜にさえ思える。
弁護団は上告をしたそうですが、。
被告が死刑になっても、亡くなった人が戻ってくるわけではないのだから、自分が死に至らしめてしまった人、遺された人のために、人の心を持って裁判に臨んでほしいと切に願うばかりです。
ってゆーか、世の弁護士の皆さんはこの裁判における弁護士のあり方をどう思ってるの?って聞いてみたい。

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