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2008年04月08日

●一瞬の語るもの

報道関係者に贈られる世界最高峰の賞と言われる、ピューリッツァー賞が発表されました。
この賞って、コロンビア大学ジャーナリズム大学院が運営しているんですね。
さて、今年はロイター通信の米国人カメラマン、アドリース・ラティーフさんの受賞作品が受賞をしたのですが、写真に写っているのは、昨年9月にミャンマー・ヤンゴンで取材中に。兵士に撃たれ、亡くなられた日本人ジャーナリストの長井健司さんの姿。
倒れながらも、カメラで撮影しようとしているその姿は、私には長井さんの生きように見えました。
ピューリッツァー賞受賞作品は、微笑ましいものもあれば、人として、見ていることが辛いものもあるし、いろんな写真があるけれど、いずれもみな、時間の流れの中のほんの一瞬を切り取っていながら、いろんなものを語りかけてくる気がします。
ピューリッツァー賞で最も有名な作品といえば、1994年の受賞作品「ハゲワシと少女」ではないでしょうか。
これは、南アフリカのジャーナリスト、ケビン・カーターさんが内戦と干ばつで深刻な飢餓が起きていたスーダンで撮影したもので、地面にうずくまる痩せ細った少女とその後ろに少女を狙うように佇む1羽のハゲワシという構図だった。
この写真がニューヨークタイムズの掲載されると、スーダンの現状を如実に伝える写真への賞賛の声と同時に、「なぜ少女を助けなかったのか」という批判も多く寄せられ、「報道か人命か」という論争にまで発展した。
論争が直接の原因だったのかどうかは、私は知らないのですが、ケビン・カーターさんはピューリッツァー賞の受賞から1ヶ月後、自殺している。
私は、スーダンの現状を伝える報道写真として、評価すべき写真だと思っている。
写真からでは、少女の生死、写真のその後はわからない・・・写真なのだから、その必要はないとも思う。
ハゲワシが少女を襲っていたり、少女が一刻の猶予も許さない状況だというなら、「シャッター押してる場合かよ」というのもわからないではない。
けれど、当時のスーダンには少女のように餓えにに苦しむ人たちが大勢いて、彼女はいわばその現状を世界に伝えるために写されたでわずか1人であり、長い時間の中の一瞬にすぎないのではないでしょうか。
確かに、写真を見ると現状を目の当たりしたような気がして、何とかしたい、何とかしなくちゃと思うし、そういう心をいっぱい集めたら、大きな救済活動もできるはず。
ただ、それを撮影したカメラマンに対し、人道的でないというのは違うと思う。
写真を撮って、スーダンの現状を伝えることだって、立派な人道活動なんじゃないのかなぁ・・・というのが、私のこの写真への見解です。
きっと、「いや、かれんとは反対の考えた」という人もいっぱいいるだろうし、まだ、この写真を見ことのない人でも、見たらいろんな考えが出てくるんだと思います。
私自身、私が正しいことを言ってるとも思わないし、きっと、完璧な正解はないんじゃないかと思います。
ただ、ひとつ言えることは、「ハゲワシと少女」は、それだけ多くのことを語りかけてくる写真だということだね。

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